昔よく街でみかけた写真屋さんだけど、写真や現像にも土壌汚染は関係しているの?
写真の現像工場も、土壌汚染が見られるケースがあります。それらの工場では、廃液の処理方法が土壌汚染のキーポイントになります。
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現像とは?
現在使用されているのは、デジタルデータです。デジタルカメラやスマートフォンで撮影した場合、イメージセンサーが光を受けて、信号をデジタルデータに変換し、コントラストなどを調整した後に、JPEG画像に変換してメディアに保存するのがデジタルデータの仕組みです。
一方、現像とはフィルムを露出した後に、薬品で映像を表し出すことです。最近若者にも注目されているいわゆるフィルム写真です。
フィルム写真の場合は、現像や焼き増しなどの作業が必要です。ここからは、写真をプリントするまでの工程を説明します。
フィルム写真の現像工程
フィルムで撮影した場合、薬品を使って処理してから像を浮かび上がらせなければなりません。撮影したフィルムを光に当てると感光してしまうので、慎重に作業を進めないといけません。
現像工程には大きく分けて、現像・停止・定着といった3つの段階があり、最後に洗浄の工程が加わります。それぞれの過程で規定の薬品や液と調合し、時間と作業手順を守って進めます。
現像
・市販の説明書の記載に従って、タンクを使って現像液と水を混ぜ合わせます。
・適切な現像時間を計り、タイマーをセットするなどして作業をします。
→手現像の場合、「ピーターソン」などの蓋(この場合の蓋は倒立させても液が溢れない様にする為のもの)で密閉が出来るタイプは、上下に180°倒立させて戻す方法で行います(攪拌する)。
→現像を行っているときには、現像液がフィルムの表面にさらされるように混ぜます。
→混ぜ合わせるときは、一定のスピードを保ちながら丁寧に混ぜます。
・混ぜ終えたら、タンクをテーブルの上に置いてフィルムに残っている気泡を逃します。現像時間を終えたら、使用した現像液を取り除きます。
停止
・現像液を排出したタンクに停止液を注ぎ、注いだ後にかき混ぜてからタンク内で停止液を浸します。
定着
・最後に定着という作業を行います。こちらは定着液をタンクに満たしてからかき混ぜていき、一定時間が経過したら定着は終了です。使用した定着液は保存ボトルに戻します。
洗浄
・3つの段階が終わったら、洗浄をします。使用したタンクのフタを開けて水道水で洗い、フィルムに付着した定着液を取り除きます。洗浄が終わった後は、フィルムを取り出して乾燥させます。
デジタルカメラはデータで保管できるので撮影をした後でも繰り返し同じ鮮度でプリントが可能です。
一方で、フィルムには鮮度があります。時間が経てば、色の鮮度が失われてしまう場合があります。現像は処理の加減で写真の仕上がりがかわることが特徴で、その仕上がりに魅力を感じるひとも多いです。
主な写真の現像技法
写真の現像工程をみてきましたが、それぞれの工程でどんな現像液をつかうのか、現像技法は数多くあります。
技法の一部をご紹介します。
ダゲレオタイプ(1830年代末~1860年代前半)
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(仏)が1839年に公表した世界最初の実用的な写真術。銀メッキをした銅板にヨウ素の蒸気をあてて光に感じるようにして撮影します。現像は水銀の蒸気で行います。日本では「銀板写真」と称していました。大変シャープな画像ですが、一回の撮影で1点しか作ることはできません。
カロタイプ(1830年代末~1850年代後期)
ウイリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(英)が1840年に発明した、紙をベースにしたネガ/ポジ方式による写真術で、これにより写真の複製が可能になりました。銀の化合物を染みこませて感光性を与えた紙をカメラに装着して撮影をしたのち現像して陰画(ネガ)をつくります。それを単塩紙に密着させて太陽光で焼きつけて陽画(ポジ)をつくります。
単塩紙(1830年代末~1860年代初期)
タルボットが1835年に発明をした、感度の低い印画紙であるフォトジェニック・ドローイング紙と同じ方式で、カロタイプの印画紙でもあります。紙に食塩水を染みこませ硝酸銀を反応させ、光に感じる物質である塩化銀をつくります。ネガを密着させて太陽の光で焼き付けると赤褐色の画像が現れます。現像が必要のないいわゆる日光写真です。
鶏卵紙(1850年~1890年代中期)
ルイ・デジレ・ブランカール・エヴラール(仏)が、1850年に発明をした19世紀を通してもっとも一般的に使われた印画紙。卵の白身に食塩を混ぜ紙に塗り、乾いた後に硝酸銀溶液を塗り、光に感じるようにします。ネガを密着させ、太陽の光で焼き付けると赤褐色の画像が現れます。現像は不要です。日本を訪れた外国人観光客におみやげとして売られた「横浜写真」は、この上にカラー写真と見まごうばかりの手彩色がなされています。
ゼラチン塩化銀紙(1880年代末~1910年代初期)
ウィリアム・アブニー(英)が1882年に紹介をしました。ゼラチンに光に感じる塩化銀を混ぜ、紙に塗って乾かし、ネガを密着させ太陽の光で焼き付け、現像は必要ありません。いわゆる日光写真です。この印画紙は19世紀末には工場で大量生産され、「P.O.P.(Printing Out Paperの略称)」と名付けられ売り出されました。
ゼラチン・シルバー・プリント(1880年代中期~現在)
19世紀末に発明され、今日でも使われている白黒写真の印画紙の総称。ゼラチンに臭化銀などの光に感じる物質を混ぜ、紙に塗って乾かしますが、普通は工場で製造されています。この印画紙は とても光に感じやすいので、暗室で感光させたあと現像液に入れて現像します。この印画紙の出現に よって小さいネガからの引き伸ばしが簡単になりました。
カーボン印画(1870年~1920年代)
古い写真プリント法で、絵具印画法の1種。二クロム酸塩とゼラチンとの混合物の感光性を利用した印画法。 1864年イギリスの化学者 J.スワンが開発した。初めゼラチンに混入する絵具にカーボンを使ったので,この名称がある。カーボン印画の絵具画像は,普通の銀画像に比べて格段の耐久性をもつ。第2次世界大戦中,学校に飾られた天皇,皇后の肖像はカーボン印画であった。この印画法は,ゼラチンを湯に溶かし,絵具粉末を加えて糊状とし,紙に塗って乾燥したもの (カーボンティッシュ) を,二クロム酸カリウム液に浸して感光性を与えて再び乾燥する。これを陰画と重ねて強い光で焼付けたのち,約 35℃の温湯で洗うと,硬化したゼラチンが残り写真像が現れる。これを一度仮転写紙に転写したうえ,左右の逆向きを正すため,さらに転写して画像を完成する。現在,この技術はグラビア印刷の製版に一部使われている。
拡散転写方式印画(1950年代~現在)
エドウィン・ランド(米)が、1947年に発明した「インスタント写真」の方式の総称。拡散転写方式印画 物理学者エドウィン・ランド(米)が、1947 年に発明したインスタント写真のシステム。 当初はモノクロのみであったが、60 年代に入るとカラー撮影が可能となった。この原理にもとづき、 現在はアメリカの「ポラロイド」、富士フイルムの「フォトラマ」などの製品があります。
インクジェット・プリント(2000年代~現在)
デジタル化された画像にしたがって、微細な顔料や染料を吹き付けて画像を形成します。4色分解でカラー写真の画像をつくります。
街の写真屋さん、現像設備
写真の現像工場なども時代とともに現像方法や設備も進化していきましたが、当時処理に使われていた物質に特定有害物質が含まれることがあります。
これらは、水で薄めて外に放出・放流したり、その廃液が地面に浸透してしまうなど、その処理の仕方で土壌汚染が検出されるケースが見られます。
写真の現像設備のある店舗・工場では、 カドミウム、シアン、鉛、ほう素、六価クロムなどの物質が現像液に含まれていた可能性があります。
こちらも印刷機など塗料が密閉されているような状態で使用されている場合だと問題ないのですが、昔ながらの現像液を使用されている場合には、有害物質が含まれているケースがあります。よくドラマなどで見るような暗所で現像している等のケースが該当します。現在ではあまり見かけませんが…。
ただ、カドミウム、シアン、鉛、ほう素、六価クロムなど、これら重金属類と言われる有害物質は分解されることがなく、消えることが無いので、過去に写真の現像等が行われていた土地は売買等の際には注意する必要があります。
では、写真の現像処理で、どんな場面でどんな物質が使われてきたんでしょうか?環境対策をされてきた歴史とあわせて解説します。
写真現像では、どんな土壌汚染物質が使われていた?
現像処理排液の公害問題がクローズアップしたのは、1970 年代初頭です。
1970 年代は、水質汚濁防止法(1971年施行)やそれに伴って厳しく改正された下水道法に抵触する現像所などの排液を、いかにしてクリアさせるかが課題でした。
それぞれの物質とその対策をまとめると次の通りです。
カドミウム
X 線フィルムや印刷製版用フィルムなどの硬調乳剤の製造にそれまで不可欠でした。
1970 年~感光材料から除去。土壌汚染物質ではありませんが、ハレーション防止層に一部使用されていたマンガンも除去されました。
シアン
代表的な現像処理液の「漂白液」に使用されていました。
1971~72 年に、漂白液は主に鉄(III)EDTA 漂白液・漂白定着液に代替されていきました。
ほう素
処理液に使用されていました。1972 年以後に、処理液から除去。
加えて、土壌汚染物質ではないですが、1972年以降亜鉛も処理液から除かれました。COD、BOD 負荷の大きかった発色現像液中のベンジルアルコールの低減とカラーネガ用からの除去が実現。1976年以降、人体に影響を及ぼすホルムアルデヒドのカラーペーパー処理からの除去も実現しています。
六価クロム化合物
感光剤として重クロム酸塩類が使用されてきました。
しかし、人体への影響もあり、有機感光剤や感光性樹脂などに代替されていきました。
鉛及びその化合物
補力液として使われる場合がありました。
現像処理の排液のその後・・・
さて、少し土壌汚染とは離れますが、現像処理はさらに環境を守る方向へと対策が進められていきました。
規制値クリア化処理と銀回収
昔、普及していた黒白写真の現像には銀がたくさん使われていました。その銀が多く含まれる廃液については、その大部分を銀回収業者が回収。中小規模の現像処理現場用に各種の銀回収装置も開発・市販されたそうです。
また、補充液の補充量や、処理液が再生・リサイクルされるようになって、廃液量自体がいちじるしく減少しました。さらに、1980年~1990年にかけては濃度規制だけでなく総量規制にも対応するために、地域まるごとの対策として、廃液の大部分が中間業者に回収され、処理されたのちに海洋投棄業者に引き渡されて指定海域で海洋投棄処分されるようになりました。
そして、産業廃棄物の海洋投棄処分を禁止するロンドン・ダンピング条約が発効されたことを受けて、大気汚染の生じない、かつ、ランニングコストの低い(=焼却するための燃料も低減できる)焼却技術の開発へと進められていったのです。
参考文献:日本写真学会誌資料
写真の現像、廃液処理の歴史を感じますね。
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