印刷工場や写真の現像工場などで土壌汚染が見られるケースがあります。
2022年のニュースでも新国立公文書館の建設予定地で土壌汚染が見つかったというニュースがありました。「汚染が確認されたのは、憲政記念館のある国会前庭。建設に向けた調査で鉛は基準値の最大5.3倍、水銀は最大3.6倍だった。戦前にこの場所で印刷や写真の現像が行われていた影響とみられる。公文書管理担当の若宮健嗣万博相は会合で「関係機関と連携して調査を進め、対策を徹底する」と述べた。。(https://www.asahi.com/articles/ASQ3Q54FQQ3QUTFK019.html:出典 朝日新聞デジタル)
■現像設備
写真の現像設備のある工場では、シアン、鉛、ほう素、六価クロムなどが現像液に含まれていたケースがあります。こちらも印刷器など塗料が密閉されているような状態で使用されているケースでは良いのですが、昔ながらの現像液を使用されている場合には、有害物質が含まれているケースがあります。よくドラマなどで見るような暗所で現像している等のケースが該当します。現在ではあまり見かけませんが・・・。
■有害物質について
印刷も現像工場も重金属類と言われる有害物質が土壌汚染として見つかることが多くあります。これらの土壌汚染となる有害物質は、土壌に流れ出てしまうと、人為的に汚染物質を除去するような工事を行わなければ、その場に残ってしまいます。土壌汚染は目に見えにくい為、事業用地として活用されなくなった後も、十分に対策を取らずに別の事業者の方へ渡ってしまう可能性があります。
■写真の現像技法
写真の現像技法には、様々な方法があります。それによって、使われる物質も変ってきます。対象の写真屋さんがどのような現像技法を使われていたかによって、対象物質が絞れるかもしれません。
一例ですが、写真の現像技法を取り上げてみたいと思います。
ダゲレオタイプ(1830年代末~1860年代前半)
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(仏)が1839年に公表した世界最初の実用的な写真術。この年を一般に写真発明の年とします。銀メッキをした銅板にヨウ素の蒸気をあてて光に感じるようにして撮影します。現像は水銀の蒸気で行います。日本では「銀板写真」と称していました。左右逆の画像は美しく鮮明で、見る角度によりポジにもネガにも見えます。日大変シャープな画像ですが、一回の撮影で1点しか作ることはできません。
カロタイプ(1830年代末~1850年代後期)
ウイリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(英)が1840年に発明した、紙をベースにしたネガ/ポジ方式による写真術で、これにより写真の複製が可能になりました。銀の化合物を染みこませて感光性を与えた紙をカメラに装着して撮影をしたのち現像して陰画(ネガ)をつくります。それを単塩紙に密着させて太陽光で焼きつけて陽画(ポジ)をつくります。数に制限なくポジ像の印画が得られました。その後のネガ・ポジ法の嚆矢です。紙の繊維のため画像はやや鮮明さを欠きます。
アンブロタイプ(1850年代初期~1880年代初期)
フレデリック・スコット・アーチャー(英)が1851年に発明した、ガラス板に感光乳剤を引き、それが乾かないうちに撮影・現像をする湿式コロディオン方式による写真術。通常はネガを作るための方式ですが、ガラス板ネガをそのままポジとして見るのがアンブロタイプです。この方式によるネガ像は光のあたったところが灰白色になるので、ガラス板の下に黒い布などを敷くとポジ像として見えてきます。
欧米ではダゲレオタイプの廉価版として普及。日本でも一般的で多数の画像が現存。写真は桐箱に入れて顧客に手渡され、「ガラス写し」などという通称がつきました。
コロディオン湿板法 Wet collodion process
1851 年に英国のアーチャーが発表し、19 世紀後半の 30 年以上にわたり使用されたガラス板を支持体とした撮影技法。感光物質の媒体としてコロディオン(硝化綿をアルコールとエーテルに溶かしたもの)を用い、極めて鮮明なネガ像が得られました。日本における最初の実用的写真術です。
ヨウ化物・臭化物を添加したコロディオン液をガラス板に塗布してから、硝酸銀の溶液に浸し、コロディオン層に感光性のハロゲン化銀を生成。感光板が薬品で濡れているうちにカメラに装填して撮影します。撮影直後に硫酸鉄や没食子酸で現像、ハイポや青酸カリで定着を行いました。
単塩紙(1830年代末~1860年代初期)
タルボットが1835年に発明をした、感度の低い印画紙であるフォトジェニック・ドローイング紙と同じ方式で、カロタイプの印画紙でもあります。紙に食塩水を染みこませ硝酸銀を反応させ、光に感じる物質である塩化銀をつくります。ネガを密着させて太陽の光で焼き付けると赤褐色の画像が現れます。現像が必要のないいわゆる日光写真です。
鶏卵紙(1850年~1890年代中期)
ルイ・デジレ・ブランカール・エヴラール(仏)が、1850年に発明をした19世紀を通してもっとも一般的に使われた印画紙。紙の繊維を卵白層がカバーするため画像は鮮明。卵の白身に食塩を混ぜ紙に塗り、乾いた後に硝酸銀溶液を塗り、光に感じるようにします。ネガを密着させ、太陽の光で焼き付けると赤褐色の画像が現れます。現像は不要です。現像を行わず強い
光だけで画像が生じる焼き出し印画紙で、焼き付け後に金調色とハイポによる定着を行う。発表されてまもなく、フランスやドイツでは、卵白を塗布した原紙が生産、販売されるようになりました。また、日本を訪れた外国人観光客におみやげとして売られた「横浜写真」は、この上にカラー写真と見まごうばかりの手彩色がなされています。
ゼラチン乾板 Gelatin Dry plate
乾いた状態で使用が可能な、高感度のガラス支持体の近代的感光材料。通称は乾板。その後、写真フィルムへと発展します。工業生産された乾板の登場で、写真家は撮影の現場での暗室作業から開放され、感光板を自製する必要がなくなりました。その最初は 1871 年にイギリスのマドックスが発表した臭化銀ゼラチン乳剤乾板で、1878 年にはベネットが乳剤を熟成して感光度を高める方法を発表し、まもなくイギリスのスワンなどにより高感度の乾板が工業的に大量生産されるようになりました。日本には明治 10 年代半ばから導入開始。
ゼラチン塩化銀紙(1880年代末~1910年代初期)
ウィリアム・アブニー(英)が1882年に紹介をしました。ゼラチンに光に感じる塩化銀を混ぜ、紙に塗って乾かし、ネガを密着させ太陽の光で焼き付け、現像は必要ありません。いわゆる日光写真です。この印画紙は19世紀末には工場で大量生産され、「P.O.P.(Printing Out Paperの略称)」と名付けられ売り出されました。
ゼラチン・シルバー・プリント(1880年代中期~現在)
19世紀末に発明され、今日でも使われている白黒写真の印画紙の総称。ゼラチンに臭化銀などの光に感じる物質を混ぜ、紙に塗って乾かしますが、普通は工場で製造されています。この印画紙は とても光に感じやすいので、暗室で感光させたあと現像液に入れて現像します。この印画紙の出現に よって小さいネガからの引き伸ばしが簡単になりました。
サイアノタイプ(1842年~1970年代)
ジョン・フレデリック・ハーシェル(英)が1842年に、自分の書いたものを簡単にコピーす る方法として 発明しました。青いきれいな画像が特徴で、日本では「青写真」と称していま した。光に感じる鉄の化合 物を紙や布に塗り、乾かしたあとネガを密着させて太陽の光で焼 き付け、水で現像します。
プラチナプリント(1880年代~1920年代)
ウィリアム・ウィリス(英)が1873年に考案しました。画像がプラチナで形成されているので 変退色し にくく、格調高い深みのある豊かな階調で再現できるという特徴があります。光に 感じる鉄の化合物 を紙に塗り、ネガを密着させ太陽の光で焼き付けます。現像をする中で鉄 の化合物をプラチナに置き 換えて画像とします。一度はすたれてしまいましたが、現代写真 家がその特徴に注目し、今日の印画法として使われるようになりました。
カーボン印画(1870年~1920年代)
古い写真プリント法で,絵具印画法の1種。二クロム酸塩とゼラチンとの混合物の感光性を利用した印画法。 1864年イギリスの化学者 J.スワンが開発した。初めゼラチンに混入する絵具にカーボンを使ったので,この名称がある。カーボン印画の絵具画像は,普通の銀画像に比べて格段の耐久性をもつ。第2次世界大戦中,学校に飾られた天皇,皇后の肖像はカーボン印画であった。この印画法は,ゼラチンを湯に溶かし,絵具粉末を加えて糊状とし,紙に塗って乾燥したもの (カーボンティッシュ) を,二クロム酸カリウム液に浸して感光性を与えて再び乾燥する。これを陰画と重ねて強い光で焼付けたのち,約 35℃の温湯で洗うと,硬化したゼラチンが残り写真像が現れる。これを一度仮転写紙に転写したうえ,左右の逆向きを正すため,さらに転写して画像を完成する。現在,この技術はグラビア印刷の製版に一部使われている。
ゴム印画(1860年代~1920年代中期)
ピグメント印画法のひとつ。ポワトヴァンが発見した原理にもとづき、19世紀末にアルフレッド・マスケ ル(英)やロベール・ドマシー(仏)らによって改良され、ピクトリアリズムの芸術写真の代表的な印画 法として広く使われました。アラビアゴムと顔料と重クロム酸カリを混ぜた溶液を水彩用紙などに薄 く塗り、乾かします。ネガを密着して太陽の光で焼き付けた後、冷水で現像します。この過程を何度も 繰り返して、画像をコントロールして求める調子を作りだしてゆきます。
プロムオイル印画(1910年~1930年代)
E.J.ウォール(英)が1907年に原理を発見し、C.W.パイパー(英)が同年に完成しました。普通に引き 伸ばしたゼラチン・シルバー・プリントは金属銀で画像ができています。それを、銀のある部分のゼラチ ンは硬く、そうでない部分は水を含むようにする薬品をつかって脱銀漂白をします。そこに油性インク (油絵具など)を刷毛をつかって叩きつけると、水と油の反発作用によって画像が現れてきます。日本 のピクトリアリズムの芸術写真家たちは盛んにこの技法を使って作品を制作しています。
ダイ・トランスファー・プリント(1950年代~1990年代)
通常カラー写真を三色分解して、画像をレリーフでつくったマトリクスと称される支持体に染料を染 み込ませ、専用の紙などに転染してカラー写真をつくる方式。クリアな発色と保存性にすぐれていると され、カラー作品のオリジナル・プリントを制作する技法として使われたが、公害問題が発生し現在は行われていません。
銀色素漂白方式印画(1960年代~現在)
カラー・ポジから直接にカラー印画をつくる方式の総称で、これまでは、1963年にスイスのチバガイギー社が開発した商品名である「チバクローム・プリント」と通称されていました。色素をあらかじめ含 んでいる三つの感光乳剤層をもつ印画紙で、補色にあたる部分を漂白してカラーの画像をつくりま す。光が全くあたらなかった余白は黒くなってしまいます。
発色現像方式印画(1940年~現在)
発色剤(カプラー)を含んだ感光材料を三層にした印画紙で、現像をする過程で発色させてカラーの画像をつくるものです。 エドウィン・ランド(米)が、1947年に発明した「インスタント写真」の方式の総称。 この原理にもとづき、 現在はアメリカの「ポラロイド」、富士フイルムの「フォトラマ」などの製品があります。
拡散転写方式印画(1950年代~現在)
エドウィン・ランド(米)が、1947年に発明した「インスタント写真」の方式の総称。拡散転写方式印画 物理学者エドウィン・ランド(米)が、1947 年に発明したインスタント写真のシステム。 当初はモ ノクロのみであったが、60 年代に入るとカラー撮影が可能となった。この原理にもとづき、 現在はアメリカの「ポラロイド」、富士フイルムの「フォトラマ」などの製品があります。
インクジェット・プリント(2000年代~現在)
デジタル化された画像にしたがって、微細な顔料や染料を吹き付けて画像を形成します。4色分解でカラー写真の画像をつくります。
■調査について
現像工場などで見つかる重金属類と呼ばれる有害物質を調査する際には、土壌の表面から50㎝の深度まで土を掘り、試料採取を行います。採取した試料を分析し有害物質が基準を満たしているか、分析を行い、土壌汚染の有無を評価します。
土壌汚染が無しと判断できる場合には、調査はここまでで完了となるのですが、土壌汚染が見つかった場合には、汚染の深さや地下水への影響を調査する必要が出てきます。
土地を借地として貸しているけど、土壌汚染が心配。
工場は続けているけど、土壌汚染についてどうしたらよいかわからない。
そんな時には是非ジオリゾームにご相談下さい。
自主調査の土壌汚染調査について用途別に気をつけるポイント、調査の流れや内容と費用を詳しくまとめた無料冊子もご参考にしていただければと思います
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